(2012年感想114冊目)
原題 Unterm Rad
ヘルマン・ヘッセ 著 高橋健二 訳
おすすめ度★★★★★(名作。特に学生さんには一度は読んで欲しい作品です。)
「そりゃ結構だ。だが、これだけはいっておくぜ。魂をそこなうよりは、肉体を十ぺん滅ぼすことだ。(後略)」(p66)ヘルマン・ヘッセはかなり好きというか、思いれのある作家である。学生時代ひどい憂鬱に悩まされていたことがあったが、一冊の本を読んだことが、わたしの憂鬱を何か別のあたたかいものへと溶かしてくれたからです。それがヘッセの「デミアン」でした。
それ以来「デミアン」はわたしの人生の一冊とも言えるくらいの思い入れのある本になったが、「車輪の下」は今回が初読み。しかし今回縁があって「車輪の下」の読書会に参加することになったので、この度精読したしだいでした。
数日前まで、この話がハンス・ギーベンラートとヘルマン・ハイルナーという二人の少年に託されたヘッセの自伝的小説だということすら、浅学なわたしは知らなかった。しかしこの話を読んだら、きっと多くの人はヘッセという人物に対して深い興味を抱くようになると思う。
西洋と東洋の血を受け継ぎ、両者の思想を抱いた牧師の家庭に生を受けたヘッセ。その彼の幼年時代の苦しみや、自然と戯れ遊ぶ時の、また故郷を描写するときの瑞々しい美しさの中に、わたしたちは今も変わらぬヘッセの息遣いを感じることができるだろうと思います。
しかし、この本の魅力はなんといっても詩人であるヘッセの分身、ヘルマン・ハイルナーであると思います。ヘルマン・ヘッセと同じ「H・H」のイニシャルを持つ彼は、ヘッセの学生時代、あるいは詩人としての若々しい感性の純化した姿であると思います。主人公ハンスが車輪(社会)の下に押しつぶされた若者であるのならば、ハイルナーはその車輪から逃げ出した人物であると思います。ハンスには詩人になりたいという夢がなかったがハイルナーにはあった。その違いが、両者の違いなのだと思います。
つまりハイルナーは夢を持っていただけに社会をより広く、情熱的に(時にはその情熱は反抗心となったけれども)見ることができたのだと思います。その証拠に、社会に出て労働しだしたハンスには、もう持病の頭痛は起きていません。
ハンスはヘッセと違い、悲劇的な結末をたどってしまいましたが、ハンスの感じやすさ、繊細さ、そうして純粋な自然的な心というのは、愛すべき素養であるように思います。学生の人には、ヘッセの文章は身につまされるかもしれませんが、感じるものも人一倍だと思います。ぜひ、学生時代にヘッセを読んでみて欲しいと思いました。きっと、何かしら得るものがあると思います。
また、この悲劇的な本を愛すべき名作にしている一環に、神学校での少年たちの、生き生きとした生活の描写があることが挙げられると思います。それは例えるならば竹宮恵子の「風と木の歌」や萩尾望都の「トーマの心臓」のような、少女漫画のようなギムナジウム生活を思い起こさせ、そういったものが好きな方なら、ガラスのように硬質で、それでいて感じやすく瑞々しいヘッセの文章が、好きになるのではないかなあと思います。
ヘッセの作品は自己の内省の旅であり、読み終わったあとに、まるで一生涯の経験をしたかのような気分になります。だからこそ、わたしは、わたしたちはハンス・ギーベンラートを友のように感じ、愛しているのかもしれません。
[0回]
PR